前回(ドンバスの謎1)からの続きです。前回は、こちらをどうぞ。
ヤヌコビッチ現象
独立したウクライナが自由に、少なくともソ連時代よりは自由になったことで、ドンバスはもはや自由の地である必要はなくなった。ドンバスは、いかに対立が絶えないとはいえ、新たな国の一地方に過ぎないのである。しかし、ウクライナの西部や中部とは異なり、ドンバスは高度に発達した産業の中心地であり、大きな国富を生み出している。ウクライナ最大の富豪であるレナト・アフメトフをはじめ、ウクライナの富豪の多くがドンバス出身であるのには、それなりの理由がある。
ドンバス地方は、一般人もオリガルヒも、ポスト・ソビエト時代の新たな政治的現実に適応している。時折、分離独立が叫ばれるとしても、ドンバスは全体として、独立したウクライナという見地から自分たちの将来を考えるようになった。ドンバスはロシアとの関係を拒んだわけでもなく、それには十分な理由がある(誰もが善隣友好関係を望んでいる!)。しかし、ドンバス地方は全体として政治戦略を転換した。ウクライナの独立後、ドンバスはキーウの中央の権力を奪取するという、極めてドンバスらしからぬ行動を取り始めた。これは「ヤヌコビッチ現象」と呼ぶこともできる。
2004年、ヴィクトル・ヤヌコヴィッチは政権奪取にほぼ成功しかけた。そして2004〜5年のオレンジ革命に阻まれながらも、2010年にはヤヌコビッチは大統領選挙で成功した。これらの動きすべての背後には、モスクワの存在があった。ドンバスの人々は、自分たちの利益と声が国政に反映されていると思える限りは、ヤヌコビッチ現象に満足し、分離主義にはほとんど関心がないように見えた。2014年2月にヤヌコビッチがユーロマイダン運動によって追放された時でさえ、ドンバスの人々は分離主義を真剣にとっておらず、それは非現実的な可能性にとどまっていた。奇妙なことであるが、ヤヌコビッチ現象は、ある意味で、ドンバスがロシアの影響下にあったとはいえ、ウクライナの政治に統合され始めたことを意味するものであった。政治情勢を一変させたのは、ユーロマイダンではなく、ロシアの軍事介入である。
ロシアの戦争責任
ドンバス地方に親ロシアや反ウクライナの感情がないと主張するのは、明らかに間違っている。それらは、強い親ウクライナと反ロシアの感情があるのと同様に存在する。今日、ドンバスではどのようなセンチメントが主流なのであろうか。そして、明日はどうか。それは誰にも分からない。ウクライナや他国のその他の地域と同様、ドンバスにも独自のアイデンティティがある(しかも、それは単一ではない)。それらについては、多くの学者が、数多くの見解を示している。ドンバスのアイデンティティがいかに独立的で反都会的であろうと、それがウクライナの独立国家と相容れないものであったという証拠、あるいは相容れないものであるという証拠は存在しない。これは、1991年当時も、そして2013年当時でさえも、そうであった。ドンバスがその怒りと不満を、独立したウクライナという枠組みの中で処理できなかったという理由は存在しない。ドンバスにおける戦争状況は、モスクワの軍事介入によって作り出されたものだ。確かに、混乱や激しい衝突はあったであろうが、住民は戦争よりも、妥協を求めていたはずである。ロシアの軍事介入によって、その時点までは、ウクライナの国境地帯にさえ現実のものとしては存在しなかった、政治的選択肢が作り出されたのである。
ロシア民族やロシア語話者が迫害されているという濡れ衣で、2014年3月から4月にかけて、モスクワはドンバスを支配するために軍事力を発動したが、モスクワは今日までロシア連邦の軍隊の存在を否定している。モスクワはその1カ月前にすでに、現地の義勇軍を隠れ蓑にした軍事力を使ってクリミアを奪取していたのである。
プーチン大統領の介入は、一見すると突発的な判断に見えるかもしれない。しかし、ロシアとソ連の過去の軍事介入を考えれば、これらの最近の事例は、少なくともロシアの勢力圏を拡大し、帝国的な版図を拡大するためのシナリオとして計画された、ということにほぼ間違いないだろう。プーチンが「ノヴォロシア」という古い歴史的概念を用いて軍事介入を正当化したのは、決して偶然の一致ではない。少なくとも二つの内部破壊工作が以前から活発に行われていたと思われる理由がある。ひとつは、ドンバスを含む国境地帯の住民にロシアのパスポートを発給する行為である。このような破壊工作は、ロシアやソビエトの政府によって、表立った方法ではなく領土を拡大するために昔から広く行われてきた。いざというとき、ロシアは軍事介入を正当化するために自国民の保護を主張してきたし、現在もそうである。裏工作の第二の形態は、外国で秘密裏に「影響力のあるエージェント」を利用することである。これは、政治的な「スリーパーセル」と呼ぶこともできる。ロシアとソビエト連邦は伝統的にこのゲームに非常に長けていた。ウクライナは若く不安定な国であり、将来も分からない。ウクライナの国境は実質的に開かれており、ロシアが旧ソ連の首都モスクワのために働く人材を確保することは比較的容易である。ノスタルジーと安定への欲求も重要な要素である。何しろ、ウクライナ国民の大多数(現職と歴代の大統領を含め)は、ソ連の支配下で生まれたのである。また、脅迫や恐喝など、全世界でこの手の仕事の常套手段である、言葉にするのもはばかられる事柄も重要である。 プーチン大統領は、カモフラージュし、見えにくくした戦争を、ロシアの国家安全保障の必要性によって正当化している。しかし、ウクライナもロシアと同様に、国家安全保障の権利を有している。ロシアは自国の権利を一方的に主張することで、ウクライナの権利を侵害している。これも、今に始まったことではない。ロシアはいまだに公然と、ポーランドがモスクワの要求に譲歩しなかったために、第二次世界大戦が引き起こされたと非難している。ポーランドの破壊を共謀したモスクワとベルリンが、第二次世界大戦を引き起こしたことを、モスクワは都合よく忘れているのだ。ドンバスで起きている戦争の背後にロシアの存在があるのは確かである。
クリミア、ドンバス、そして「ロシア問題」
モスクワが安全保障問題を利用するのは、実質ではなく、レトリックに近い。確かに、国家の安全保障は重要な問題である。ロシア国境への欧米世界の拡大へのロシアの懸念も理解できる。欧米とロシアの間に不信感があるとすれば、双方に責任がある。国際舞台での欧米の自己中心的な行動はロシアを遠ざけることに寄与したが、ロシアの自己中心的な行動は、欧米だけでなく、かつてモスクワが支配していた衛星国をも遠ざけることに、少なくとも同等に寄与している。
どの点から見ても、ロシア政府は、欧米諸国が概ね解決した問題を抱えている。プーチン大統領は、モスクワがユーラシア大陸のロシア語話者を「保護」するために介入する権利、つまりクリミアやドンバスといった土地を占領・併合する権利があると、いまだに信じている。このような帝国主義的な主張は、どうしようもない時代錯誤である。英国は米国のニューイングランドに介入する権利があるのだろうか。メキシコは米国のニューメキシコ州、テキサス州、アリゾナ州、カリフォルニア州に介入する権利があるのだろうか。英国の学者ティモシー・ガートン・アッシュは、1994年にロシアのサンクトペテルブルクで開かれた円卓会議に出席した際、居眠りをし始めたところを、突然「背が低く、小太りで、ネズミっぽい顔の男」の発言に叩き起こされたと話している。この人物は、「ロシアは旧ソ連邦の共和国に対して『膨大な領土』を自主的に明け渡した。『歴史的にずっとロシアのものであった』地域も含めてだ」と述べた。これらの地域には、おそらく、クリミア、ウクライナ東部、カザフスタン北部なども含まれるのであろう。この人物によると、「ロシアは、今や外国に住む『2500万人のロシア人』を運命に任せるわけにはいかない。世界は偉大な国家として、ロシア国家と『ロシア人の』利益を尊重しなければならない」。この人物の名は、プーチンであった。
ロシア国民も同じように考えているのだろうか。世論調査が確かであるなら(国家によるマスメディアの統制を考えると、完全にそうであるとは言い切れないが)、大多数の国民もそう思っている。これもまた時代錯誤である。もしドイツが秘密軍事作戦によってスデーテン地方やカリーニングラード(旧ケーニヒスベルク)を取り戻したとしたら、ドイツ国民は喜ぶだろうか。ドイツ国民全体がそうでないことは、相当程度に確かだろう。ワルシャワが秘密軍事行動によって東ガリチアを奪取した場合、ポーランド国民は喜ぶであろうか。それはありそうにない。2度の世界大戦のあった20世紀を経て、西側諸国は帝国主義の愚行を脱した。ロシアはそうではないようだ。ロシア政府もロシア国民も真剣に考えなければならない問題がここにある。
(次回、多分最終回の「ドンバスとウクライナの行方」に続く)