ドンバスの謎(3)

2015年、リビウでのKuromiya教授のドンバスに関する講演の続き(第3回:最終回)です

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ドンバスとウクライナの行方

ドンバスの行方は誰にもわからない。これに類した数多くの地政学的問題と同様に、ドンバス問題も、ウクライナやドンバスのことをまったく顧みない、あるいはほとんど顧みない大国の政治によって「解決」されるのかもしれない。いずれにせよ、ドンバスの悪夢を生んだのはモスクワの軍事介入である。ドンバスの数多くの人々は、この軍事衝突はまったく理解しがたく、不条理ですらあると証言している。それは、この紛争が外部から密かに仕組まれ、巧妙にカムフラージュされたものであるためである。

確かに、ドンバスは昔から反大都市の反抗の地であり、常に外部の権威に激しく抵抗してきた。ドンバスのモットー(第二次世界大戦中の地元の傭兵詩人パヴェル・ベスポシュチャドニイの詩からとられた)は、「誰もドンバスを屈服させたことはない、誰も屈服させることはできない!」である。しかし、1991年以降、ドンバスは独立した自由なウクライナの中に自らの将来を見出し始めていた。その他に選択肢はないように見えた。この苦難の進捗を力で覆したのはモスクワである。ドンバス地域のウクライナとロシアの国境を消滅させることによって、モスクワは伝説的で厄介な「荒野」を復活させた。ドンバス地域の住民の一部が、偽装したロシア兵や工作員に助けられ、キーウに対して武器を取り始めたのである。

1950年代から60年代にかけてドンバスに住んでいたロシアの詩人ニコライ・ドモヴィトフは、ドンバスについて次のように書いている。

ウクライナでもなく、ルーシでもない。
ドンバスよ、私はあなたを恐れる。

ドモヴィトフの恐れは予言的であった。

ウクライナ東部に侵攻したとき、モスクワは本当にこの恐れられた地域の占領を望んだのだろうか。今もそうだろうか。モスクワはドンバスという恐ろしい魔物を解放したが、それを後悔するかもしれない。なぜなら、今日の彼らのレトリックがどうであれ、ドンバスの分離主義者は明日には、モスクワの独裁的支配を拒絶するかもしれないからである。アクメトフ自身は、公然とはキーウと分離主義者のいずれも支持せず、自身の賭けに保険をかけているようだ。ドンバスの人々は全体としてはモスクワの支配を受け入れないだろう。これはキーウに有利に働くだろうが、キーウはドンバス住民の心をつかむことができるだろうか。モスクワはその気になれば撤退して戦争を終結させることができるが、残りの仕事はキーウの肩にのしかかることになる。

モスクワの「ノヴォロシア」構想が崩壊しつつある兆候はすでに出ている。5月12日にケリー米国務長官がロシアを訪問し、プーチンと会談した直後から、「ノヴォロシア」の終焉を伝える報道がなされ始めている。もしかして、ロシアと米国は(例えば、クリミアに関して)秘密の取引に合意したのであろうか。この表向きの譲歩は、邪悪な政治的策略なのだろうか。いずれにせよ、ドンバスをウクライナから切り離すことは、政治的、知的に困難な課題ではない。真の課題は、ドンバスをウクライナの一部として防衛することである。

プーチンとケリー

戦争の終結後もドンバスがウクライナに残っていれば、罪と罰、そして許しと和解の問題に直面することになる。ウクライナは、他の多くの国々と同様、すでに多くの困難な課題に直面している。ホロドモールや第二次世界大戦、そしてその他の数十年前に起こった出来事といまだに格闘しているのである。しかし、最終的なコンセンサスに達しなくても、ウクライナは妥協を見出すことが可能である。例えば、70年以上前、ヴォルヒィニアでウクライナ人とポーランド人が殺し合ったことがある。この問題をはじめ、多くの歴史的な問題で、ウクライナとポーランドは今でも深く対立している。しかし、より良い未来を築くために、ウクライナとポーランドは多くの妥協を見出している。

ドンバスは一見ひどい地域であるように見えるが、キーウの権力だけでなく、モスクワなどの外部勢力にも挑戦している分、ウクライナの未来に資するものも多い。ドンバスの政治的プラグマティズム、戦闘性、独立志向は、モスクワの専制的・中央集権的権力に対する強力な解毒剤となりうる。

ドンバスが直面する経済的課題もまた、困難なものである。重工業は巨大な富を生み出しているが、非効率で老朽化した工場や鉱山は、補助金という形でウクライナの国家予算の多くを消尽している。工業化からポスト工業化へ、長く痛みを伴う転換を迫られているのだ。

ドンバスは、おそらく今後もウクライナや世界を混乱させ、困惑させ続けるだろう。しかし、ドンバスはウクライナを活力ある民主的な国家にすることのできる大きな可能性を秘めている。ウクライナの他の地域は、ドンバスを拒否するのではなく、受け入れることが極めて重要なのである。

(おわり)

後記:

Kuromiya教授は、スターリンの産業政策研究でお名前を聞いたことがあったのですが、最近ウクライナに関連しておすすめの本を、何人かのウクライナとロシアの知人に聞いたところ、Berkhoff、Erlacher、Plokhy、Wilsonなどのおなじみの名前に交じって、というかそれらの人たちよりも目立って、同教授の「Freedom and Terror in the Donbas: A Ukrainian-Russian Borderland, 1870s-1990s」を推す人が多かったので、いろいろと読んでる間にこの講演に行きついたのでした。

Freedom and Terror in the Donbas: A Ukrainian-Russian Borderland, 1870s-1990s」は、それまで非公開だったドンバスの旧KGBアーカイブを含む、旧ソ連の20あまりのアーカイブをあたり、9年近くをかけて書かれたらしいですが、非常に面白くいろいろ勉強になりました。まだKindle化されていないのが残念ですが、興味のある人にはおすすめします。

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