ロシア人を許すことができるか?

スイスの「NZZ am Sonntag」誌に、ウクライナの作家のアンドレイ・クルコフ氏が戦後のウクライナとロシアの和解の可能性について、「私たちはロシア人を許すことができるか」と題した記事を執筆されていました。私は侵略戦争の過去のある母国をもつ者として、今次の戦争の責任や和解といった話題には常に興味をひかれており、この記事もいろいろ考えさせられるものでした。

クルコフ氏はソ連生まれの、民族的にはロシア、母語もロシア語、しかも有名なロシア語作家、というまさしくプーチンが保護すると主張しているロシア系ウクライナ住民なのですが、どの記事を読んでもフツーの「ロシア憎し」のウクライナ人であるということも何とも皮肉です。まあ、ロシア右翼のストレルコフあたりに言わせれば、「自分をウクライナ人だと勘違させられたロシア人」なのでしょうが。以下にこの記事で気になったところ、面白かったところを紹介します。

NZZ am Sonntag紙の記事

氏が断続的な空襲警報に中断されながらこの記事を執筆中だったクリスマスの前日には、ヘルソンのマーケットが攻撃され、新年とクリスマスのための買い物をしていた市民多数が殺害されています。このような大規模な殺戮がない日であっても毎日数十人のウクライナ市民が殺害されています。

「毎日、ブチャ、イルピン、ボルセル、ホストメリの惨劇を思いおこすことになる。これらの町のことはよく知っており、多くの友人がいた。何人かは今でも住んでいる。彼らは荒らされたアパートや、半分廃墟となった家に戻って、過去の生活を取り戻そうとしている。しかし、アパートを修理し、破壊された家の跡に新しい家を建てたとしても、戦争の傷は家の中、通り、そしてウクライナ人の心の中に残るだろう。このような傷は、人を鈍感、無感情にし、笑顔は消える。これらは、プーチンのロシアがウクライナに持ち込んだ、死の内なる知識なのである。

したがって、ロシアとの和解について考えようとする時には常に、1つの言葉が頭に浮かぶ。それは『憎しみ(ヘイト)』である。それは、鋼鉄製のナイフの刃のように冷たく、銃撃のように明確だ。和解というのは、両者がパートナーとして共存し、相互に尊重していた時があった、ということが前提だが、それはウクライナとロシアの歴史には当てはまらない」。

ここらへんは、ロシアの人々、そしてロシア経由でウクライナを知った人たちにはよく分からない(多くはまったく分からない)点であるように思います。私もよく分かってませんでした。

「ロシアでは、ウクライナにまつわるものすべて、そしてウクライナ自体が、プーチン政権のエリートとロシア人の大多数の嫌悪の種となっている。70%以上のロシア人がウクライナとの戦争を支持している。。。。」

そうではない(ように見える)ロシア人も相当数知っていますが、全体の中ではおそらく少数派であろう、と今回の戦争で改めて思わされました。過去10年にわたって、強烈な反ウクライナのプロパガンダが日常的に流されてきたのは紛れもない事実です。セルゲイ・メドベージェフはクリミア後に、「近年におけるロシアの大衆心理の驚くべき変容の1つが、ウクライナに対する病的な執着である」と書いています。

ヘルソンのシンボルであるメロン

クリコフ氏が11歳の時、履修する外国語の選択で、英語と独語の選択肢を示された同氏は、第2次大戦で祖父を殺害したドイツの言語は絶対に学ばない、と迷いなく英語を選択した、と書いています。

「子供の私は、実際にはドイツ人を憎んでいるわけではなく、1つのスローガンを繰り返していただけだった。ドイツのものすべてがファシストだと教えられていた。第2次大戦のソビエト映画が毎日テレビで流され、ドイツ人は醜悪なナチで、ソ連兵はハンサムで勇敢な英雄だった。私の祖母も、戦争を生き残った父方の祖父も個人的なレベルでドイツと和解することなく亡くなった。私の両親も一生、第2次大戦を背負い続けた。ドイツがウクライナを兵器で支援している今となっては、ドイツとの和解の困難さについて不思議に思われる。

ドイツと意識的に和解することになったのは、たぶんハインリヒ・ベルの本がきっかけだった。1997年に私の本の出版人のダニエル・キールが私にドイツ語を学ぶように頼み、プリーン・アム・キームゼーでの集中講座を受けたのである。子供時代の偏見はそこで消え去った。」

クリコフ氏は若い時にソルジェニーツィンの「収容所列島」を読みショックを受け、また自身の親戚も収容所に送られていた過去を知り、真実を知るために作家デビュー以前にソ連中の収容所をめぐる貧乏旅行をしたことがあるという話を読んだことがありますが、ソルジェニーツィンが海外追放された後、最初に居場所を提供したハインリヒ・ベルの本がクリコフ氏のドイツとの和解のきっかけになったというのも何か面白く感じました。ハインリヒ・ベルは戦後のドイツの傷を描いた「廃墟文学」で知られるノーベル賞作家です。

ロシアとプーチンに対してほとんどのウクライナ人が感じるのは憎しみだ、とクリコフ氏

「したがって、ドイツと最初に意識的に和解したのは私の世代だった。私は第2次大戦で死んだドイツ国防軍の兵士にはある程度の同情を覚える。しかし、ウクライナの前線の写真やビデオでロシア兵の死体を見ても何も感じない。ウクライナ人を殺すためにウクライナの土地に来た敵軍兵士の死体が見えるだけである」

「将来、戦後はどうなるだろう。プーチンと彼の軍隊に破壊された都市と村の再建にどれだけの時間と労力がかかるだろうか。1つだけ確かに言えるのは、私が生きている間にロシアに再び行くことは絶対にない、ということだ。奇跡的に、ロシアの体制が劇的に変わり、隣国と世界に脅威を与えることがなくなったとしても、ロシアにはもう行かない」

「ウクライナ国民の多くが今日、ロシアとプーチンに対して感じているのは『憎しみ』である。憎しみは、古典的なロシア文学やロシア語など、ロシアに関連するあらゆるものに及んでいる。ロシア語で書いている作家はまだいるが、その本はすぐにウクライナ語に翻訳される。ウクライナの書店は、もうロシア語の本を売りたがらない。戦争が始まったとき、私は戦争が終わるまで自分の本をロシア語で出版しないと心に誓った。私の「Diary of an Invasion」は英語で書いた」

ここらへんは、「キャンセル・カルチャー」だとして否定的な見方も多いようですが、ロシアから逃げたネブゾロフ氏は「文化というのは人間を育てる土壌みたいなもので、今ウクライナ人はその土壌で育てられた人間たちがどれだけ残虐なことをするかを毎日見聞きしている。全部を否定して当然だろう」と書いています。全部を否定するかどうかは別として、私も文化と今回の戦争は別、というのは御都合主義であろうと思います。「アウシュヴィッツ後に詩なんか書く奴は野蛮人」とか言った人がいましたが。

「ロシアが戦争目的を達成できない、と仮定して、遠い将来にウクライナ人とロシア人は何語で対話するのだろうか?ロシア語か?あり得ない。みんな自分自身の言語を話すだろう。みんな、相手が何を言っているか分からない、というだろう。それが真実ではなくても」

ヘルソン自由公園

「したがって、和解について話すならば、交渉の言語を選ぶ必要がある。プーチンが死んで、プリゴジンのような一段と血腥い後継者が辞めた後で、ロシアは最近の歴史を犯罪であると宣言し、国際法と民主主義の世界に戻る意思を示す、と仮定しよう。ロシアの新たな政府が交渉プロセスの公式言語の1つとしてウクライナ語を認めるならば、交渉には成功の機会があるだろう。

しかし、問題は言語だけではない、交渉はウクライナの文脈で行われなければならない。ウクライナが『存在しない』、そして『レーニンにより生み出された』というようなプーチンの言葉の後で、将来の新しいロシアはウクライナ国家の存在を認めるだけではなく、ウクライナの歴史も認めなければならない。それには、ウクライナ人が被った多くの悲劇に対するロシアの責任も含まれる。

ロシアはツァーや共産党の指導者の罪を認めなければならないだろう。ロシアにとって、このようなことを認めるのは困難だろう。それは、学校や大学で真実を教える必要があることを意味するからである。このようなスケールで罪を認めることは、ロシア人の狂信的愛国者や保守層にはショックであり、このようなことを認めた政治家はおそらくは政治から追放されるか、同国人によって殺害されるだろう

ロシア人の大多数の持つ帝国主義的な世界観は、30年をかけて培われてきた。この世界観を変えるには、それよりもはるかに長い年月を要するだろう。そしてロシアの帝国主義と戦う唯一の有効な方法は、ロシア人に対してウクライナにおける自国の戦争犯罪を系統的かつ持続的に明示することである。

このような過去の記憶に関するキャペーンによって、狂信的愛国者の大衆から、良心的な市民を分けることができるだろう。これらの市民が将来の民主的な社会の中核になるだろう。これは、共感、後悔、そして前向きな発展が可能な社会である。

この戦争が終わって30年後、将来のロシアのリーダーはブチャにおけるロシア侵略の被害者のための記念碑の前で跪くかもしれない。おそらくは、その時になって、2つの国民と国の間の意識的な和解のプロセスを始めることができるだろう」


これを読んでいると、和解などはほとんど不可能ではないか、という気さえするのですが、今現実に起こっていることを考えれば、クルコフ氏の厳しい見方も分かるように思います。まあ、未来は長くて分からないし、一言で「和解なんて無理です」と書くと、平和を愛する欧州の読者が読んでくれないので、クルコフ氏も無理して書いたのかもしれません。私はこれを日本と隣国の歴史と重ね合わせて読んで、重苦しい気持ちにならざるを得ませんでした。

ところで、クルコフ氏の「Diary of an Invasion」はすでに発刊されていますが、戦争下の人々の生活に対する興味深い話だけではなく、氏の個人的な過去の歴史やウクライナ、ソ連の過去が折り重なった、同氏らしい良書となっています。

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