ハルキウでのウクライナ軍の大攻勢と、それに引き続くロシア軍の退却が大きな話題になっていましたが、ロシア国内では軍事強硬派の政権への不満が表面化しました。基本的には、早く総動員令を出して、本気で戦争をしないと勝てないのに、プーチンや首脳部は何をやってるのか、という人たちですが、彼らと政権の間の亀裂について、タチアナ・スタノワヤさんが書いた記事がカーネギー財団のサイトに掲載されていたので、以下に紹介します。
スタノワヤ氏は、カーネギー・モスクワの客員、仏露商工会議の分析部門「L’Osservatore」の科学委員会委員で、その道では有名なロシアの政治関連コンサルティングのR.Poitikの主宰でもあります(これがメインか。。)。ウクライナに対する開戦でも英米系を除けば欧州のほとんどの機関が予想できず、欧州のオブザーバーが重視する露国内の知識人もほぼ全滅のなかで、スタノワヤさんは相当の確度で開戦を予想していました。
ハルキウ周辺でのロシア軍の撤退は、戦争推進派の一団にパニックとフラストレーションと困惑を巻き起こした。上層部への怒りや、この事態に至った理由に関する疑問がテレグラムのフィードを埋め尽くし、クレムリンにとっては反体制派の打倒以来、最も深刻な政治的難題の一つとなっている。
ロシア政府と戦争推進派の関係は常に複雑であった。ドンバスでの紛争は、ノボロシヤ・プロジェクトの一部のファンが注視していただけで、政治的課題に特段の影響を与えることはなかった。しかし、ウクライナ侵攻は戦争推進派を先鋭化させただけでなく、政治的な有力者を推進派に加えることになった。保守的な反欧米主流派(与党、シロビキ、体制内野党を含む)はプーチンの作戦開始の決定を全面的に支持し、戦争推進運動を主導しようとさえした。
一時期、政府内の日和見的な戦争推進グループと、「今やキエフへ進軍すべき時」と主張する旧来からの戦争推進派との区別はほとんどなくなり、戦争を支持する全社会な政治運動となった感があった。しかし、いざ挫折となると、すぐに溝が戻ってきた。体制側の人々は指導部のあらゆる決定を正当化しようとする一方で、戦争推進派の活動家は憤り、批判し、ロシア軍が勝利する能力に対する疑念さえ示した。
2つの並行世界が出現した。1つは、公式の「平和」な世界、世論工作担当者やテレビの美しい映像によって目に示される、政治的に管理された世界である。ロシアではすべてが素晴らしく、前線ではすべての目標が達成され、西側は腐敗している世界である。もうひとつは、並行して行われている「戦争」の世界 — 何千人もの死傷者、勝利と敗北、生と死をかけた戦いが存在する世界である。現在、起きていることが「退却する場所はない、後ろはもうモスクワだ」という論理で、人民の聖戦であると考えている人々と、目的も時間軸も不明瞭な「特別軍事作戦」の進行状況を見物しているに過ぎない人々との間に深い乖離が生じているのだ。
当初、この2つの世界の差異は特に目立たず、クレムリンは愛国的な求心力の果実を享受することができた。政権のあらゆる機関への支持が急上昇し、社会はクレムリンと連帯し、誰にも異議を唱える勇気はなく、反体制派は打倒され、体制内野党は戦争陣営に加わり、おかげで9月の選挙は何事もなく通過した。
しかし、時間の経過とともに、この2つの世界は次第に離れていった。世論調査では、すでに夏には、ロシア社会は戦争のニュースに飽き、際限のない新たな征服の知らせに苛立ちさえ感じていることが示されていた。クレムリンは、国民に戦争報道からの一休みを与えた方が得策であると理解し、「平和な生活」を一段と積極的に演出するようになった。この間にも、前線では、ロシアがキーウ(キエフ)にたどり着くことは二度とないのではないかという恐れとともに、損失と困難が積み重なっていた。
ハルキウでの破滅的な退却がなければ、おそらく「平和」と「戦争」の世界の共存は長く続いたであろう。モスクワで行われた「Дня города(シティーデー)」の盛大な祝賀会は、ソーシャルメディア上での軍事的失敗の議論とは衝撃的な対照をなすものだった。ザリャーディエでのプーチン大統領を交えた祝賀会、VDNKhでの大観覧車のお披露目、祝賀コンサートや花火大会などのすべてが、前線での血まみれの敗北を伝えるパニックと憤慨と絶望の報告の洪水の中で行われたのである。
過去数カ月において「戦争」の世界は、成長、拡散し、社会的な基盤を築き、数十万人に及ぶロシア人の信頼を獲得した。敗北の瞬間に、この世界が前面に浮上し、クレムリンは非常に不愉快な立場に立たされることになった。
これまでのところ、戦争推進派の活動家の怒りへの、当局の対応は混沌としたものである。当局は脅してみたり、すべてをウクライナのボットのせいにしたり、人々に祝賀の権利があることを躍起になって示そうとしたりしている。これらは、連携のとれた対応には見えず、対立を煽って問題を悪化させる一方である。
この対立と乖離の根底には、プーチンがウクライナで何をしようとしているのか、その特殊な、極めて特有な態度がある。当初もそして現在も、プーチンはウクライナがすぐに簡単に敗北すると踏んで、ウクライナ軍との大規模かつ長期的な戦闘の構えがないのである。総動員の拒否、占領地からの退却の容認、急ぐ必要はないという話は、プーチンの考える、ウクライナは歴史的に、戦闘することなく滅亡が必定である、という信念を示すものである。
プーチン大統領の目からは、前線がどこで、どう動くかは大した問題ではなく、いつどこで住民投票が行われ、どの部分がロシアに併合されるかも大した問題ではない。プーチンの世界では、ウクライナは存在せず、「ロシア領内」での「反ロシア」勢力(別名「ナチス」)は滅亡する運命にあり、その破壊には必ずしも全面的な軍事行動の必要はない。
プーチンの論理では、西側が崩壊すれば、すべてがプーチンの足下に崩れ落ちる。「ナチス」は外部の資源へのアクセスを失い、それ自体が歴史の中の灰燼と化す。このことは、ロシアがここ数カ月、本格的な戦闘を行わず、ウクライナ国内に深く進出しない理由の多くを物語るものである。プーチンが、現在のウクライナの反攻を大袈裟に捉えることもないだろう。それがどんなに不快なことであっても、ウクライナが本来のロシアの懐に戻ることは不可避であるというプーチンの信念が揺らぐ可能性は低い。
プーチンの論理の問題点は、ロシアの多くの人々が、ウクライナが存在しないことには同意していても、プーチンのように、西側の死を待つだけで戦争に勝つことができると信じている人はほとんどいないという点である。そして、「平和」の世界が出現したのは、ロシア社会や支配層のエリートが、プーチンのアプローチに説得力があると考えたからではまったくなく、むしろプーチンが、エリートや社会の直接的な関与なしにこの戦争に勝とうとした結果なのである。
軍事作戦の長期化に伴い、クレムリンは軍事的な課題を周辺に押しやり始め、現在起こっていることの「普通さ」と「平凡さ」を喧伝している。そして、それは「平和」の空間と「戦争」の空間の対比をさらに強調することになる。軍事的な失敗は、逆に戦争推進派を活気づけ、その潜在的な力を高めることになる。
戦争推進派は、反体制派の打倒以来、政府にとって最も深刻な難題のひとつになる可能性がある。しかも、ナワリヌイの当時と異なり、現状では、クレムリンがこうした右翼の抗議を鎮圧する力は限られている。
プーチンは、戦争推進派の活動家を外敵の利益のために行動するイデオロギー的な敵対者とみなしているわけではない。プーチンは彼らの抗議を正当で、愛国的なものであるとみなしており、それによって弾圧を担当する治安部隊の作戦の余地は大幅に狭められている。そして、典型的なチェキストの権力思想は、今日テレグラム戦線の戦闘員が流布しているものと大きく離れるものではない。公安機関の多くは、これらの右翼的「愛国者」に共鳴している。
軍事的な挫折や敗北が積み重なれば積み重なるほど、「平和」の世界と「戦争」の世界のコントラストは鮮明になる。そして、プーチンの政治的リーダーシップに対するリスクも大きくなる。「平和」と「戦争」の両方において、自分自身であろうとして、すべての人にとって何者でもなくなりかねない。今のところ、この反プーチンの怒りとパニックが組織化された形にならない限り、クレムリンはこのロシア社会の一角をつぶすまでには至らないと見られる。