「ピョートル大帝の黒奴」とポリティカル・コレクトネス

私自身はロシア語はトーシロから毛を抜いたレベルなのですが、それでも「本は原文で読むべき派」(もちろん、できるだけ、ですが)です。文学書はさすがにハードルが高いものが多いので、自分が読める言語への翻訳書を参考にしながら読むことになります。

で、時々いろんな本を物色するのですが、たまたま目に留まったのがプーシキンの「Арап Петра Великого」。日本語の訳書では「ピョートル大帝のエチオピア人」というのがあるようですが、「エチオピア人」とアマゾンの書評(というか酷評)を見た時点でう~む、となりパス。他を当たると「ピョートル大帝の黒奴」というのがあるようで、タイトル自体気に入ったのですが、全集に収録されているようでこれもパス(全集は全部揃えないと気が済まなくなる、という困った性癖なのです)。

Арап Петра Великого

それで素直に英語、独語とロシア語の併読でいこうと思ったのですが、ここでドイツ語の訳書のタイトルが何と「Ibrahim und Zar Peter der Große」(アブラムとピョートル大帝)に変わっていることを発見。訳者は有名なPeter Urbanさんで以前は「Der Mohr Peters des Großen 」だったはず。。。 Peter Urbanさんはもう亡くなっているので、誰かさんが勝手にタイトルを変えたようです。

「Mohr」の語源は、中世北アフリカのムーア人で、ここから一般的に肌の黒い人を指す言葉となっており、原語のロシア語の「 Арап 」に近い感覚と言えます。ロシア研究の長い歴史を誇る英国の翻訳版を見ると、「The Moor of Peter the Great」、「Peter the Great’s Negro」、「The Negro of Peter the Great」、「The Blackamoor of Peter the Great」など多数あり流石と思わせます。

さて、本題(とゆーほどぜんぜん大したことない)なんですが、「 Mohr 」が消されたのは間違いなく、英語で「ニグロ」がダメだというのと同じで差別的用語はいかんということなのでしょう。米国の「ブラック・ライブズ・マター」運動以降、ドイツでも進歩派の団体が「言語における植民地時代の過去の遺物」の排除を求めており、「 Mohr 」なんぞは最初にやり玉に上がっているのではないかと推察されます。

私自身はこのような運動には賛成するものですが、過去の事物、彫像、建物、書物などからそれらの言葉を消し去ることはもともとの目的に資するものではないと考えています。我々が現在行っていることが絶対的に正しいという保証がない限り、我々が何を変え、何を消し、何を生んだのか、そしてそれをなぜ正しいと信じるに至ったのかを残す必要があると考えます。「アブラムとピョートル大帝」の版元のウェブサイトを見ても変更の手掛かりはまったくありませんでした。

Ibrahim und Zar Peter der Große

本の中身まで全部単語が置き換えられているのかどうか確かめる術もないので、結構評判の高いPeter Urbanさんによる訳書も残念ながらパスで、英語の本を使うことにしました。しかし、作者も訳者も亡くなっているので確かめようもありませんが、この書物に関する正当な権利を有するお二方がこの変更をどう思うか聞いてみたいものです。この書物の主人公である北アフリカ出身の黒人アブラム・ガンニバルの子孫であると言われ、自分自身のことを「потомком негров безобразным(黒人の醜い子孫)」と呼んでいたプーシキンさん自身は、版元に拳銃で決闘を申し込むことはないでしょうが、面白がって詩の一つでも書いてくれそうな気はします。

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