2月16日、現地時間14時17分に露のアレクセイ・ナワリヌイ氏が亡くなる(意図的な殺害である可能性が高い、と思います)、というとんでもないニュースが入りました。「もう分かっていた」という方も多いのですが、私はボコボコにされたり、体を潰されても、隔離されても、殺されることはなく、サハロフ氏みたいに生きていれば、という希望をいつも持っていたので残念で、悲しくてなりません。
同氏に関してはいわれなき(いわれがある場合もありますが)批判や、斜に構えた嘲笑など多くあり、露の反体制政治家としては唯一(いや、他にもおられるのですが、程度が大きく違う)支持、応援していた私としてはいつか弁護の一文を書こうと思っていたのですが、亡くなった今となっては栓のないことである上に、軽薄な言葉で消費するのは気が進みません。またいつか機会があれば書くかもしれませんが、おそらくもう書くことはないと思います。
1つだけここで書いておくと、露の多くのインテリ、反政府政治家にとって政治とは人々の支持を勝ち取って政権を変えることではなく、単に「正しいことは何か議論する」ことで、正しいことを言っていれば、自分たちが勝てないのは「不正な選挙のせい」や「プーチン、プロパガンダのせい」である(そして、それに関して何かするわけでもない)という中で、大多数の人々がプーチンを支持しているという事実を認め、それを崩すために自分たちで資金や人を集め、全国的な反政府組織を築き上げ、人々の支持を集める運動を実践した、つまり真面目な政治活動をしたほぼ唯一の反政府的リーダーでした。
露文ですが、セルゲイ・メドベージェフ先生とアレクサンドル・シュメリョフ氏のオビチュアリーもどきの文章を転載しておきましたので興味がある方はどうぞ。以下にいくつか写真だけでも載せておこうと思います。
こちらもまだ「現役」で頑張っているカスパロフ氏と。おそらくボロトナヤの頃でしょう。カスパロフは後に「これがプーチンを倒す最後の機会だった」と言っています。まだ防御の手薄だったクレムリンの目と鼻の先に集まった露史上最大と言われる抗議活動で、急進派のカスパロフはクレムリン突入を主張、ナワリヌイはそれに反対し、結局、プーチンは危機を逃れました。自分が痛めつけられるのには耐える割には、暴力の行使には興味なかったようです。
お次はネムツォフ氏と。説明不要ですが、同氏が射殺されたのも2月でした。エリツィンの時代は政治家の笑顔も結構ありましたが、それ以降は笑顔は反体制派の専売特許になった感があります。
お次は、現在服役中のイリヤ・ヤシンさんと。昔からの腐れ縁(?)ですが、ナワリヌイの後を追うことはやめて欲しいですね。誰も自分の意思で好き好んで逝くわけではないですが(((
辛くなってきたので、そろそろやめましょう。こちらは、今一番心配しているカラムルザ氏と。同氏はネムツォフの腹心でしたが、毒殺未遂を2度も経験しており、体調も悪く、心配です。レビンソン法を適用できないのか、などの声もありましたが実現していません。ストラスブールにて。
最後はご家族と。同氏の安らかなお眠りをお祈りするとともに、ご家族が力を取り戻されますよう、そして同氏が最後まで戦ったプーチン体制が早く終わり、ウクライナが勝利を収め、平和を取り戻すことを祈ります。