ウクライナつれづれ(ウクロナチの誕生)

最近、また少し時代を遡っていろいろ読んだりしているのですが、以前は不注意に何気なく読み飛ばしていたものが、非常にビビッドに感じられたりすることが多くあります。以下は、当時はロシア国立研究大学経済高等学院の教授だったセルゲイ・メドベージェフ氏がクリミア併合直後のおそらく2015-2016年に書いたものですが、今読むとまさに。。。という感じで面白かったので少し紹介します。(引用はПарк Крымского периода, Сергей Медведевより)


敗者の行進

「ウクライナのファシズム」は、ロシア政府の思春期的なコンプレックス、西側に対するエリートの幼稚な失望、国民全体の社会的な幼児性によって生み出された神話である。ロシアのルサンチマンが象徴的な復讐の対象を必要としたのである。20年間、ガイダルやチュバイスを攻撃対象にした後で人々はもうそれには飽き飽きしていた。ボロトナヤの抗議活動もすでに鎮圧されており、米国は復讐対象とするには遠すぎた。ここで、マイダンが起こったのである。ウクライナが大胆にも兄貴分のロシアに背き、父権的なパラダイムからブルジョア民主主義革命と欧州的発展の道へ逃げ出そうとしたのは過去10年で2回目だった。これへの反応は、クレムリンの満たされぬ野心とロシア人の嫉妬が融合したルサンチマンの集大成だった。ウクライナは裏切り者と宣言された。この裏切りは、ウクライナ人がスラブ人の中で自分たちに最も近い血族であると考えていたために、いっそう不快だった。ウクライナの裏切りというテーマは明らかに、ワイマール共和国のルサンチマンや、1920年代から1930年代にかけてドイツで流行したユダヤ人による「背後の一突き」説に対応するものである。

ウクライナ・ファシズムの発明は、ロシアの政治テクノロジストの極悪非道の勝利であり、彼らは「バンデラ派」、「懲罰部隊」、「プラヴォセク(ウクライナ民族主義者)」の神話を作り出し、テレビを通じて当局と86%のトンデモ国民に吹き込むことに成功した。2014年を通して、プーチン大統領を含むロシア全体が一年中、テレビ上で、無限に続く連続ドラマの中で、ファシストがキーウを行進し、懲罰部隊がマレーシアのボーイング機を撃墜したり、スロビャンスクの少年をはりつけにする一方で、西側がマイダン「革命」のスポンサーになり、ウクライナをNATOに引き込み、セヴァストポリに第6艦隊の配備を進めるという、パラレルワールドのリアリティの中で生きたのである。

当時はロシアのプロパガンダが奏功し、西側のメディアでもファシズムとまでは言わないまでも、ウクライナの極右の存在が実態をはるかに超えて報道されていました。そのウクライナに支援を提供する米政府を、国内の極右、極左が攻撃するという光景も今と同様です。恥ずかしながら、私も英語メディアの補完としてロシア側の情報を相当程度見聞きしていた者として、またウクライナに関しては完全にロシア語の世界から近づいた者として、ある程度それに影響を受けていました。無知な人間の方がプロパガンダにやられる、ということを考えれば当然かもしれません。ロシアとウクライナ両国の事情について詳しい人たちの少なくとも一部から見れば、当時すでにウクライナのナチという言説が完全にロシアのプロパガンダであると明白に認識されていたことが分かります(前述しましたが、これが書かれたのは2015-2016年頃です)。

キーウを行進する「ファシスト」

ロシアのプロパガンダでは一般的に、ファシズムのイメージは、絶対的で最終的な悪と同義であり、これは「敵」の究極的な非人間化のために用いられる。ロシアの言説において、ファシズムは「他者」を普遍的に示す価値である。現代のロシアのアイデンティティの全てが、ナチズムに対する勝利というイデオロギーの上に築かれており、ウクライナとの戦いは存在論的に、絶対悪に対する絶対善の闘いである。

ニーチェによれば、ルサンチマンは独自の価値体系、つまり「奴隷の道徳」を生み出し、外部、他者、非自己に対して「否」を突き付ける。ミハイル・ヤンポルスキーは、ルサンチマンを「反政治(アンチポリティクス)」と呼んだフランスの政治哲学者エティエンヌ・バリバールを引き合いに出している。

「反政治」とは、単に国家の危機の結果ではなく、主体的・能動的な行動ができない、という不能性(インポテンス)に根ざしたニーチェ的ルサンチマンの産物である。ニーチェのルサンチマンのように、我々ロシアにはあらゆる面で、外の世界に対する反動という純粋な否定性しかないのである。

ロシアのウクライナ戦争は、「反政治」の一例であり、自らの劣等感に基づく純粋な否定であり、西側に対するエリートの劣等感と自らの生活環境に対する国民の劣等感に対する補償である。当局には、「ソフトパワー」や質の高い経済成長、相手国からの尊敬や承認によって、国際舞台におけるロシアの役割を変えることができない。プーチンが復活させた階級制度の中に閉じ込められている大多数の国民も、国家のパターナリズム(本質的には階級奴隷制である)と社会的パラサイティズムを超えることができず、学習性無力症候群のような状態にある。それらに対する象徴的な補償が、ウクライナに代表される架空の敵の創造と、クリミアの併合とドネツクとルハンスクの強奪共和国の創設という架空の勝利であった。しかし、要するに「クリムナッシュ(クリミアの同胞)」とウクライナ南東部の奪取は「敗者の行進」でしかない。グローバリゼーションとの戦いで歴史的な大敗を喫した勢力の最後のパレードである。開かれた社会と市民の動員参画、インターネットとEU、現代アートと金融市場、「ソフトパワー」と高度な組織との衝突において、彼らは敗北した。クリミアのルサンチマンは、権力者とクリティカル・マスの不適応者の間の契約であり、弱者の言い訳であり、滅亡者の防御反応であり、歴史的な行き詰まりである。

皮肉なことに、架空の恨みが現実になりつつある。ロシアは対立の気運を高めることに熱心で、結局はこれによって制裁を課される結果となり、これが経済や生活水準に影響を及ぼし始めたところである。国内の地政学者たちは、NATOのウクライナ進出の話で国民を巧妙に脅迫し、結局その偏執狂的な政策によって、ウクライナが非友好国になるように追い込み、NATOのバルト三国における軍事プレゼンスと恒久的な基地の拡大を招いた。そして、プーチンの、西側に対するあまりに長期の、あまりに明白な怨恨の結果、とうとうブリスベン・サミットでロシア大統領が孤立するという状況に至った。ルサンチマンは悪循環であり、敵対的な環境を生み出す。脅迫者が傷つくのである。

長い目で見れば、ロシアが現実に直面し、自らの空虚な野心、創作された恨み、そして劣等感を解消し、(ロバート・スキデルスキー卿が論文でその展望を述べたように)平凡な国家の地位と折り合いを付け、資源をめぐる「西側」との世界戦争など存在しないこと、そして「西側」の願望は、たとえ権威主義の政府であっても、安定し、攻撃性のないロシアだけだと認めることが、避けては通れない道である。ロシアがポスト・ソビエトのルサンチマンを晴らすために、ドイツがワイマール共和国のルサンチマンを晴らすために引き起こしたような苦痛や流血をもたらさないことを祈るばかりである。


最後の一節の「避けては通ることのできない道」を進んでくれればよかったのですが、どうもそのまま直進してワイマール後のドイツの道に直進してしまったようです。しかし、クリミア直後にこの文章を書いておられたメドベージェフ先生も、ここまで来るとはまったく予想できず、開戦後しばらくして身一つ、車一台で陸路ラトビアに逃れる、という羽目に陥ったことを考えると、将来を見通すのはやはり非常に難しいことなのでしょう。

さて、今でも、長期的な平和のためには、この「避けては通ることのできない道」を通らざるを得ないように思えるのですが、今となってはその道の入り口まで戻ることさえ、完全に不可能ではないとしても、非常な難事であるように思えます。おそらく、その道は閉ざされているのではないでしょうか。

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