少し以前に、初期プーチン体制の頭脳とも言われた中心人物の1人であるグレブ・パブロフスキーが戦争の約半年前に書いたテクストを紹介しましたが、今回は戦争開始の直後に書いたテクストを紹介します。このテクストがRepublic誌に掲載されたのは2022年5月2日で、今読むと、やはりピントが合っていたのだろうと思われますが、当時は直線的な戦争の進行を予想していた大方の人々から圧倒的にネガティブな評価を受けていました。
パブロフスキーは2000年代初めにはウクライナにも深く関与していたことで知られており、彼自身が言うところの、ロシアの「空想の中で失ったものに対する嫉妬で、今やその起源を辿るのも困難な馬鹿げた」ウクライナに対する執着を生み出したプロパガンダに全く責任がないとも言えない人物ですが、今生きていれば戦争の行方をどのように見ていたでしょうか。
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戦争中に何か言うことは、それを予想することとは違う。戦争は目を離すことができない出来事である。今日となっては、ロシア連邦システムが戦争中毒であることを証明しても愚かであろうが、システムは既に始まった戦争にどう対処するであろうか。平和の質問が、戦争の未来の問題に係わっていることも明らかなことだ。
未来の予見を望んでも無駄なことであり、誰にもクラウセヴィッツの戦場の霧の向こうを見ることはできない。すべては人々とその手にある兵器によって決せられる。最初の一撃に耐えたウクライナは領土の喪失にもかかわらず強固になったが、我々にとって重要な問題はロシアである。ロシア連邦システムはどのように変化しているであろうか。依然として終わりには程遠い戦争は、この不安定な有機体になんらかの新しい要素をもたらしているであろうか。1990-1991年の暴発によって、ロシア連邦国家にはそれまで前例のなかった国境と、アイデンティティを持たない国民がもたらされた。それから30年後、我々はこれもあり得ないと見られていた新たな事態、すなわち欧州大戦、の真っただ中にある。
計画の失敗
戦争は即興的に開始され、当初はほとんど「特別作戦」そのものであった。西側の戦略が、その計画に悪ふざけを仕掛けたようにさえ見える。専門家の戦前のコンセンサスは、ウクライナ軍に対するロシア軍の速やかな(「3日以内の」)勝利であった。西側の報道は、4月までにゼレンスキー政権は実体を失う、と断言していた。モスクワはキーウの陥落とウクライナ国家の崩壊を真剣に予想した。敵側の戦略家の悲観論が、モスクワの楽観論を助長することになった。
システムは首領の意図を推し量ることもなく、戦争の準備はできていなかった。プーチンは躊躇する「内輪」に作戦の決定を押し付けたが、それはロシア連邦システムに対する背後からの一突きとなった。クレムリンは米国が約束していた強力な制裁を想定していたが、制裁は一過的なものと見られていた。短期決戦に備えていたモスクワは、驚くべきことに自分たち自身にも戦いが仕掛けられるとは想定していなかった。
“Ледокол 2.0”
(Rusbureau注:「Ледокол」はスヴォーロフの本で、スターリンがナチを欧州を目覚めさせるための「砕氷船」として利用して、あとで戦争に加わって漁夫の利を得ようとしたことから第2次大戦が始まった、という一種の「陰謀論」の本)
ここで、プーチンが1941年の対独「予防的戦争」の計画に関するスヴォーロフ/レズンの本の熱心な読者であったことが明らかになった。プーチン自身が口を滑らせたのである。大統領が、自らスターリンの先見の明のなさの批判に与してしまう、というのは珍事である。「予防的反撃」の思想は、彼の戦略を明らかにするものである。プーチンは空想の中で1941年にタイムスリップして、ドイツ国防軍に占領されたウクライナに電撃戦を仕掛けているのである。
しかし、ドニエプル川の奇跡は起こらなかった。ウクライナの前線は、そして国家も崩壊しなかった。ロシア軍はウクライナの地で立ち往生することになった。他方で、2月の即興的な攻撃は、西側諸国政府自身が予想もしなかったような、容赦のない制裁のエスカレーションを引き起こした。欧州の大衆の怒りにより制裁の弾み車は勢いを増しており、ロシアがウクライナに打撃を与えるたびに、新たな制裁の波が起こっている。ロシア連邦システムはそれ自体が戦闘に巻き込まれており、殺人的な制裁に対応することができない。
問題に対して誤った解決を行う方法は数多くある。過去における、ロシア連邦システムの特徴は、不可逆的なミスを最小限に抑えることであった。どのような危機であっても、システムは倒れなかった。複雑なタスクを単純なタスクに変換する仕組みが作動したのである。しかし、このような原始的なメカニズムで、これほど顕著な戦争のミスに対処できるであろうか。ロシア連邦のシステム自体のシステムエラーであればどうなるのであろうか。
覆されるコンセンサス
過去2カ月で軍事専門家のコンセンサスは覆された。戦争はウクライナ軍の潰走で終わらなかったため、モスクワの敗北として再解釈されるようになった。「プーチンは3日以内にキエフを占領する」という大合唱は、「プーチンの軍隊は敗北し、逃走している」という大合唱に取って代わられた。ウクライナはプーチンと戦う西側の表象となった。もはやウクライナは負けられないし、プーチンの勝利は許されない。しかし、「勝利」とは何を意味するのか?
戦争は2つの戦線で戦われている。1つはウクライナであり、もう1つはウクライナの抵抗と象徴的につながっている「強烈な制裁」という世界的な舞台である。西側の新たな理想は、「クレムリンの倫理的な失敗」に対する圧力の下で、戦闘が鎮まることを待つことである。西側諸国が望んでいるのは「ロシアをどうするか」という議論である。では戦争についてはどうするのか。戦争は「なかったこと」にはできない。いくら戦っても、戦前の居心地のいい世界で悪夢から覚めることはないのだ。
遠く彼方の戦争
ロシア連邦システムの安定を保障しているのは、永遠に生き延びる住民と当局の間の契約である。すなわち、大衆はもはや革命も急進的改革も戦争もないと固く約束され、完全に脱政治化、脱動員(脱参加)化された。脱動員の強化によって、当局への抗議活動や反対も弱体化した。戦争への動員から解放された市民は、反戦抗議活動への動員も回避する。脱動員化された市民は、このような個人的な受動的状態を十分な自由として受け止めている。
もちろん、ロシア連邦システムは、2月末に突然ウクライナでの戦闘に投げ込まれたことからストレスを受けた。すべての国家運営・経済計画は崩壊した。ストレスの頂点は動員の噂を受けた数十万人の市民のパニック的な出国だった。しかし、プーチンは住民と当局の間の契約に挑戦することはしなかった。ロシア連邦はソビエト連邦とは異なり、安定を維持したまま動員をかけることはできない。プーチンはこれが本当かどうか試すことなく、大衆には戦闘シーンを遠くから見物させることにした。「遠くの戦争」はホラー映画を見るのと同じ強い感情を引き起こす。しかし、それで引き起こされる忠誠心も、テレビドラマシリーズに対する愛着を超えるものではない。
戦争の強度は、国民が生き残る保証として
脱動員の状況を維持する権利によって制限される。
しかし、これはロシア連邦システムの、戦前の状況として通常のことである。ここで、我々は現在のウクライナでの戦争の岐路に立つことになる。
ロシア連邦システムの新たな実験場
ロシア連邦システムでプーチンに予想されるのは電撃戦ではなくサスペンス(緩慢な恐ろしい戦い)である。ウクライナに侵入して相当の領土を占領した今、システムは戦争を通じてそれに適応しつつある。戦争は日常であり、何も急ぐ必要はない。この状況は第2次チェチェン戦争で、2000-2002年においてモスクワから遠く離れた戦争に対する関心の薄さによって、初期のプーチンの権力維持が安定した段階に似ている。「状況はどうなってる?戦ってるのか?まあ、それならいいか」という状態である。
ロシア連邦システムは、少しずつ、集落から集落へ、村から村へ這うように前進し、ウクライナを挽き潰していく。ウクライナを荒廃させ、ロシアの荒廃と同じにすることにより、ユーラシアの中央地帯で国家を解体していく。ロシアは再び、欧州との融合の機会を破壊し、新たに犯罪国家としての地位を得たが、おそらくはそれがロシアの将来の姿である。ロシアの歴史においては、経験との遭遇は犯罪との遭遇になることが約束されており、それがロシアが自らのアイデンティティを確認する方法なのだ。このシステムは自己に課されるあらゆる責任をあっさりと拒否する。自国と他国において作動し、その両方を破壊することにより(それ以外に行動する方法を知らないのだ)、返済されるべき負債を作り出す。しかし、その負債は誰がいつ返済するのであろうか?ボルシェビキが返済を拒否したツァーの負債は100年後にプーチンによって支払われた。
ウクライナには、ロシア軍を自国内から排除できる兵力はなく、それによってロシアには立ち回る大きな余地がある。一部のウクライナ人は強制的にロシア連邦の住民にされており、この実験場において、「高度なNATO軍」に対する「予防戦争」の話の再構築が行われているわけである。
認められていない戦争はウクライナとロシアの日常生活の一部となった。国家が国家に侵入することで敵意の突然変異体が生まれ、ロシアはその中で生活せざるを得ない運命にある。脱動員化された国民の国家は、日常生活の貧窮と、低強度の戦いの組み合わせによって、無限の長期にわたって戦争を遂行することが可能である。
ロシア連邦システムは、ロシア人に対する広範な不信の中で存続せざるを得ない運命、という未来への準備はできていない。しかし、ウクライナも永遠に西側諸国の賞賛を浴びる英雄であり続けることはできない。拍手喝采は変質し、大量の難民の波の間に消えていく。英国首相がキーウを散歩している間にも、ウクライナの石油貯蔵タンクは燃えている。ウクライナが戦闘で敗北すればロシアは強力な制裁にさらされるが、ウクライナが勝ったところで穀物輸出が増えるわけでもない。ロシア連邦システムがウクライナを挽き潰し、飲み込むのを止めることができるのは和平か停戦のみである。これでは解決の方法はないように見える。しかし、まだ残っている可能性がある。
戦争の未知の最終状態
恐るべき大祖国戦争によって、地域的な貧農国家は、戦争がなければ存在していなかったであろう地球規模の反ファシスト帝国に変貌した。存亡の淵を歩んだ赤色ロシアは、1941年をどのように生き延びたのか、自分でもわからなかった。自国を滅ぼそうとする大軍に打ち勝ったことで、赤色ロシアは欧州史上前例のない何か別の者、すなわち、戦後グローバリゼーションの共著者となったのである。
同様の何かが再び始まっていないであろうか。ソビエト連邦の地域的な断片であるロシア連邦は、ウクライナに侵入し、自身をウクライナ国家に組み入れることにより変化しつつある。ユーラシアの地において、戦争が一過的なエピソードに過ぎないような、地殻変動帯が目を覚ましている。
私たちが知っているように、原子爆弾の秘密はそれが可能であるということだけである。昨今の汚い秘密は、欧州での大戦争も可能だということだ。すでに多くの命を奪っているこの戦争(そもそも起こってはならない戦争であった)によって、ロシアシステムには説明のつかない生き残りの可能性が生じている。戦場を見れば、このシステムが忌まわしい形で生き延びていることがわかる。しかし、生き残るのは「プーチニズム」(これはロシア版陰謀論である)でもなく、1991年の鮮烈な暴発で生まれた戦前のロシア連邦でもないだろう。
ロシアは不愉快なほど好戦的な国々の仲間入りをしていることに気付くだろう。これらの国は平和な散歩には適していない。ロシアの軍事作戦を見れば、自分の近所で爆弾やミサイルから逃げる一般市民に同情するのは当然のことである。さらに多くの痛みと犯罪があるだろう。最後まで生き残る保証もない。しかし、繰り返しになるが、この不運な地で何か奇妙なことが生まれつつある。深き淵より(デ・プロフンディス)、歪んで敵対的な顔をした地球の見慣れない情景が立ち現れつつある。備えをしていた方が良いだろう。その顔は私たちの方を向いているのだ。
現体制の産みの親の1人である奇才パブロスキーは、開戦2カ月後においてロクな終わり(と言えるかどうか分かりませんが)を予想していなかったようで、しかも今読むと何やら以前よりも説得力があるようにすら感じられ不気味です。ま、将来は誰にも分からないのですから、楽天的な米国人を見習っていきたいと思う今日この頃ですが。。。