グレブ・パブロフスキーの予言

グレブ・パブロフスキーは、旧ソ連の反体制派であり、その後プーチンのチームの1人として現体制の基礎を築く1人となり、最後はまた反体制、反プーチンの大物として亡くなる、という現代のロシアを象徴するような非常に特異な人物です。

メディアを動員したプロパガンダや、反対派の徹底的な封殺などに果たした「功績」から、リベラルの間では名前を聞くのもおぞましい、という感じの向きも多く、名前を言っただけで石が飛んでくることを覚悟した方がよいかもしれません。

一方で、そこそこ古手のインテリの間では、体制派、リベラルを問わず非常に評価も人気も高い、という、ロシアのインテリに良くあるワケわからん怪人でもあります。パブロフスキーと同氏の生み出した「エヴローバ」出版や「ルースキー・ジョルナル」などのインテリ連中のハブやネットワークがなければ、おそらく20世紀末のロシアのインテリの世界はかなり違ったものになったと思います。ロシアのインテリの幻術にたぶらかされる西欧人も少しは少なかったかもしれません。

そのパブロフスキーは今年2月に亡くなられましたが、開戦の前年の10月に今次の戦争を予想していたかの一文を「Republic」紙に書いておられました(戦争ですらなく特別作戦として開始される、とまで予言しています)。本当に現体制のアーキテクトだったのだなあ、と思うと同時に、同氏であれば今の露にどのような希望を持たれたであろうか、と考えずにいられません。少し長いですが、以下にプーチン体制の初期の立役者の一人による冷静な観察を紹介します。


義肢の音:ロシアの新たな戦争について ― 「ロシアにとっての死の罠」

「戦争は最初、通常の特別作戦と見分けがつかない形で始められる。それは、踏みにじられた価値観であれ、ドンバスであれ、誰も望まないものを守るために決定されるだろう」

グレブ・パブロフスキー

ソビエト以前の時代の謎めいた絵に出会ったことがない人はいないだろう。庭や街路など、ごく普通の風景を描く混乱した描線の中で、遊んでいる狐や悪い狼、襟を立てて帽子をかぶったスパイを見分ける必要があった。線描画の中からそれらを見つけるのは簡単ではない。今日、入り混じった描線の役割を担っているのは、時事ニュースである。大統領と国防相がアルタイ山脈の景色を眺める旅に出ていて、その帰りにキューバ危機以来の危険な軍事的危機を引き起こしてしまう。または、マリの大統領を部下たちから救うためにワグネルが戦う。あるいは、殺人の可能性を伴う何か別のことなど、が見えてくる。

私は長い間、未来の戦争について何か書きたいと思っていた。未来の戦争は、ロシア連邦システムが現在ある場所に近いところにある。しかし、平時の戦争はファンタジーじみているので、ずっと先延ばしにしてきた。ソローキンの小説『ドクトル・ガーリン』の読者は、21世紀の戦争後の1本足の登場人物たちのベッドシーンを何も考えずに読むことになる。未来の戦争の後のシベリアでのセックスには、義肢の音が伴うだろう。

1989年:右から2人目のサハロフの左後ろがパブロフスキー

ドットが戦争につながる

ロシア連邦システムは、戦争の中で始まり、30年にわたってそこに棲みついた。ペレストロイカの終了とともに、ソビエト連邦の周辺に戦闘のホットスポットが出現した。1990年から93年にかけてのアルメニア・アゼルバイジャン戦争、1990年代のタジキスタン内戦、オセチア紛争、グルジア・アブハズ紛争など、深刻な事態に発展したものもある。トランスニストリアでは、戦闘当事者は残虐さの見本をもって行動し、最後にはレベジ将軍とその軍隊が残忍に鎮圧した。

平和が宣言されたが、戦争の原因となった問題は解決されなかった。暴力の文化が栄え、それが金になった。これらのホットスポットが訓練場となり、将来の戦争のための幹部が育成された。シャミル・バサエフは、アブハジアで切り落とされたグルジア人の頭でサッカーをした。塹壕の中では、現金の入った袋を持った伝令が往来していた。

コズイレフ外務相は、地上の地獄のホットスポットでロシアの野心を満たすために、「近い外国」ドクトリンを考案した。1993年に連邦政府庁舎の砲撃が再選挙の約束に取って代わると、暴力はロシア・システムの正装となった。暴力はもはや余計なものではなくなった。強姦魔がエリートの仲間入りをし、ツルゲーネフの軍隊の少女のように賞賛されるようになった。サッパーショベル将軍ロディオノフ=トビリスキーことアレクサンドル・レベジは、「エリート将軍」と呼ばれ、国防大臣に任命された。

チェチェン共和国との戦争が大きな転換期となった。テレビはカフカスの大虐殺を各家庭に伝え、戦争が始まって6ヵ月後、シャミル・バサエフはブジョンノフスクでロシアを震撼させた。ブジョンノフスクの攻撃は、3〜5台のカマズで1億人の人口を抱える国をノックアウトする方法を明らかにした。バサエフは、オサマ・ビンラディンが米国に同じことをする前に、ロシアを未来の戦争に導いたのである。

チェチェンでの戦争はシフトでの戦争となり、各州から兵士が、素早く暴れまわり戻ってくるという任務の下で戦争に駆り出された。昔の兵士は存在しなくなった。このことは、チェチェン戦争の前と後の兵士の写真を見ればよくわかる。拷問、誘拐、身代金が、兵士の標準装備となった。ロシアはますます明確に緊急時の手段によって支配されるようになり、それは戦争を通じて統治に浸透した。チェチェン民兵は敗北し、レベジがハサビュルト協定に調印した。

2000年、大統領選後、左から2人目がパブロフスキー

師匠と弟子

オサマ・ビンラディンによるもう一つの大型テロとシャミル・バサエフによって、強国は残虐行為をお返しする「権利」を得た。ブッシュ大統領は「テロとの戦い」を世界規模の戦争に変えた。2つの戦争を始め、どちらにも勝てず、結局は「カラー革命」を支援することになったが、いずれも民主的な国家を生み出すには至らなかった。しかし、ブッシュJrは、その弟子の新人ロシア大統領に対して、自国の条件での取引を強要する一方的な政治手法の教えを与えた。イラクとアフガニスタンにおけるブッシュの軍事行動の代償は、ロシアのその後の路線変更だった。ブッシュ以前であれば、個人の命令で、グルジアやウクライナなどを含む国際的な悪の国家リストを作成できるということなど、プーチンには思いもよらなかっただろう。

弟子は師匠を追い抜いてしまった。孤立した、弱いロシアは、世界の安全保障の保証人としての役割を要求し、自国のコミットメントは拒否し、世界に対して条件を示すようになった。

メドベージェフ大統領は、西側諸国が大西洋から太平洋に至るロシアとの「ユーロ・アトランティック共通安全保障空間」を創るように求めた。サアカシュヴィリ大統領は、南オセチアの戦争でメドベージェフの平和度を試したが、彼のユーロ・アトランティック主義は跡形もなく消え去った。もう一つの時代、すなわち軍事ネオ・パワーの時代の幕が開けた。

今や権力の前には「敵」がある。「敵」は内部者のようなふりをしているが、実際は「外国人」、外国人の代理人、あるいは人でなしの裏切者である。住民を恐怖に陥れる過剰な行為は合法である。当局は局員の非人間的な行動を恐れていない。当局は局員のサディスティックな妄想を歓迎し、それが役に立つと考えている。意図的な犯罪化の中で、拷問、秘密殺人、私的な暴力が広がっている。

システムは、都合の悪いことはすべて「テロリズム」や「過激主義」と同一視することに没頭している。「テロとの戦い」に沸き立つ領域では、証拠は不要である。敵意が推定されれば、政治闘争の法的ルールなどは無視される。戦争は内部で戦われる(内なる戦争)。ロシア政治は戦争の空気と結びつけられており、それを手放せない。

2001年:プーチンがブッシュを一時尊敬していた、というのは色々なところで書かれていますが本当なんでしょうか

「ユーロリージョン・ドンバス」

すべての戦争は遠くで、頭の中で始まる。

ドンバスがかつてユーロリージョンと呼ばれ、2010年に「ユーロリージョン・ドンバス」というプログラムが始められたことを誰が覚えているだろうか?住民は国境を越えて自由に行きかい、国境を越えた経済が栄えていた。ウクライナ人はロシアに出稼ぎに行き、ロシアの年金受給者は物価の安いウクライナで住宅を購入した。「ドンバス・ユーロリージョン」は、ロストフ、ドネツク、ルハンスクの3地方を含み、2014年には戦場となった。しかし、ユーロリージョンのウェブサイトはまだ生きており、会議やワークショップが行われている。

2014年のウクライナ戦争には、クリミア併合という物質的な原因があるように見えた。しかし、実際にはその戦争すらも、頭の中で始まっていた。ウクライナの革命家たちがウクライナ各地に所在するキエフ政権のオフィスを占拠すれば、反革命勢力がそれを真似た押収で応えていた。ウクライナ東部では、状況はさらに混乱しており、オフィスへの侵入者の全てが「権力を奪取した」と考えていた。志願兵、チェチェン人、過去の再演者、コサックたちが、ロシアの戦車を従えて登場した瞬間に、「ドンバス・ユーロリージョン」は地獄と化した。

最近、セルゲイ・カラガノフは、資源を巡る戦争というアイデアを概説する中で、最初に領土と人口に言及した。人間=資源は、ロシア連邦システムを示す完璧な標識である。

初期的な国家の時代には、人口の「資源性」に関して議論の余地はなかった。支配者は捕虜の獲得によって、戦士を養うための穀物を耕作するための「資源」を手に入れた。奴隷を保有していなければ、貧弱なピラミッドの建設も不可能である。農民がいない、ということは、国家が存在しない、ということとイコールなのである。今日、ロシア連邦以外では、人間を資源とみなすところはない。しかし、ロシア型の戦争については、セルゲイ・カラガノフが言う通りである。住民を資源として扱うということが、外国の市民に自らの土地の占領者としての役割を与えるという、ロシア型戦争の背景を示している。

戦闘は、かつては領土を得るために戦われたが、今や住民が自分の土地の占領者に転じるのである。住民は、パスポートの配布、幻想的なアイデンティティ、隣人との争いに惹きつけられる。かつては心を通わせ合った隣人に残虐な敵意をもつに至った入植者が、領土の侵略者に転じるのであれば、余分な兵士を投入する必要はない。土地の占領は、住民による占領、つまり自己の土地の占領によって行われる。

領域に軍隊を投入しないからといって、暴力が減少するわけではない。ドネツクにおけるロシアの平和は、ウラジスラフ・スルコフが「地下室のインタビュー」で想起させたように、「地下室行き」の予感から始まる。ドンバスで「地下室」に捕らえられた人は、厳しい警告を受ける場合もあれば、あるいは、夢見るロシアの理想主義者ロマン・マネキンのように殴られ、切り刻まれ、拷問される場合もある。システムは非官僚的であり、残虐行為を、それを喜んで実行する誰にでも任せることができる。このことは、2014年にドンバスで実演され、その後、ワグネルの戦闘員がシリア人の骨を大トンカチで破砕する動画でも示された。

2007年、右端がスルコフ、後ろにパブロフスキー

バフチサライの幻影

モスクワのウクライナに対する執着は、空想の中で失ったものに対する嫉妬であるが、それは今やその起源を辿るのも困難な馬鹿げた感情である。当初は、グラスノスチの報道を見た者たちの、ウクライナの裕福な生活に対する羨望があったに過ぎない。1991年の飢餓の時代、山盛りの貴重なソーセージを抱えたウクライナ女性が新聞の一面を飾っていた。その貴重なソーセージがソ連時代の備蓄の残り物に過ぎなかったことが明らかになったのは、ウクライナの独立が事実となった後であった

30年もの間、国家になり得たはずの両国は、むしろ互いを羨望の目で見続けてきた。キーウはモスクワの西側訪問者を数え、キーウに対する無視を嘆いた。ロシアは、ロシア古典に登場する黄金のバフチサライの幻影であるクリミアを物欲しげに見つめていた。しかし、クリミアの奪取によって、ロシアは突然、国境を承認されていない大国となった。いずれは認められるという夢は、説得力に欠ける計算である。ロシアは今や、どの大国も国境を認めていないという時代の始まりにある。中国でさえ、どうやら台湾を侵略するまではクリミアの併合を認めないように見える。この非承認の時代によって、ロシアの国際政治の議論は沸騰し、大戦争が自国に不利な世界秩序を解消する手段に見えるようになった。

ゼレンスキー大統領は最近、ロシアがウクライナとの「全面戦争」を準備していると示唆し、モスクワ政府関係者から怒りの反論を受けた。ロシアとウクライナの指導者の演説はパフォーマンスのようなものだが、ゼレンスキーの主張を否定する理由はない。ロシアとウクライナの間の病的な対称性は、急速に高まっている。反ロシアの制裁体制によって、過激化、ルサンチマン、外国人を「同胞」にする欲望、虚無的なグローバリズムといった「ロシア・システム」の悪癖は増幅されている。ロシアの行動は、法の問題が完全になくなるほどまでに、世界のルールを変えたいという欲望に突き動かされている。

希少なパフォーマンス

湾岸戦争以来、戦争はスペクタクルまたは連続番組であるという話がずっと続いている。長い年月をかけて、戦争のスペクタクルは演出されるようになった。ロシアの(血なまぐさいスペクタクルのために地元のエキストラを使った)ドンバスでの戦争は、長い間、ロシアのテレビ放送に新鮮な人間味を提供してきた。生きたまま拷問される人々を扱ったニュースは、非常に高い視聴率を維持した。

ロシアのテレビにおける「ウクロファシズムとの戦い」の連続番組は、単にクレムリンの悪意によるものではない。演出されたテレビセットの中に入り込むことで、当局は逃げ場のない罠に引き込まれているのである。ウクライナは、トラウマ的なテーマからクレムリン症候群へと悪化し、世界に関するすべての思考がそれを中心として構築されるようになった。このことは、ラブロフ外相の、モスクワが自らは何の義務も負わず、「真実に従って」行動する権利を要求する演説に見て取ることができる。

ソビエト連邦崩壊後の空間における巨大だが脆弱なロシアの役回りは脅し屋である。個々の国より強力ではあっても、紛争で力を行使することはできない。中央アジアでは、NATOよりも中国の方が効果的にロシアを抑え込んでいる。

私は、戦争が起こる運命にあると言っているのではない。ここで言っているのは、ロシア・システムが生まれたときからの軍国主義的な状態の過激化についてである。

2021年春、ロシアは、少し違った経緯をたどっていれば、生存者が義肢を鳴らしながら思い出したであろう状況にまで至っていた。軍がウクライナ国境に集めらえれ、(可能性は低いが)アメリカ軍が介入した場合に備えて報復攻撃部隊が編成された。ロシアは攻撃の日時まで決定し、全世界を相手に戦争を敢行する構えであった。ロシアはウクライナ国家の粉砕を望んでいたが、戦略的な目的は決まっておらず、占領したものをどうするのかも不明確だった。ロシアはキーウを占領できたかもしれないが、その理由も、それをどうするかも不明なのである。国家の破壊という事業には、ロシア連邦にとっての究極的なカントリーリスクを負う必要があった。当局が国の全てをリスクにさらすということは、それが実験国家である証である。

戦略的には、これは戦争であった。誰もがそこに導かれ、その瀬戸際で止まった戦争の戦略を図式的に言えば以下のようなものになる:

「中間段階として、限定的な戦争を行うことができる。これによって、まさに両者にとって脅威となるリスクが創出されるが、敵の誤った判断による全面戦争という形態での代償を共に負うことはない」(トーマス・シェリング『紛争の戦略』)。シェリングにとっては、限定戦争というシナリオは、単に核戦争のリスクを回避するための装置だった。しかし、このようなシナリオが機能するのは、それに説得力がある場合に限られる。ドンバス周辺での戦車演習だけでは不十分である。ワシントンには、ウクライナへの侵攻が実際に予定されているという正確な情報が必要であった。

戦争の脅しは、戦争の勃発そのものと区別がつかなくなり、戦争の前触れとなる。

パンデミックで示された通り、犠牲者の数はロシア・システムにとっては簡単に無視できるものである。他者の苦しみの中で、住民は自分たちの生存の喜びをより強く味わうことができる。無限に起こりうる恐怖が、ロシア人にとっては平和と秩序に取って代わるのである。

2001年:Украина.Ruのウェブサイトのプレゼンをするパブロフスキー。ネットを使ったプロパガンダでも先駆者であった

ロシアンルーレット

今日、ロシアは世界中、浸透したあらゆる場所で戦争をしている。「ロシアンルーレット」と呼ばれる死を賭けたゲームは、ロシア国家の生活にも入り込んでいる。クリミアの占領と、近代化のために用意された数十億ドルの浪費によって、ロシア連邦にはキップリングの時代が戻ってきた。逃亡中の大統領を新たな大統領から守るために、ドンバスに出撃することもできる。あるいは、ウクライナの盗難石炭の輸送車両を護衛して、存在しない国境を越えることもできる。あるいは、ロシア軍が英雄的な戦いで中東の小さな暴君の終焉を先延ばしにしているシリアの方がお好みかもしれない。スーダン、中央アフリカ、リビア、ベネズエラへの戦闘派遣というのもある。勇敢な男は、給料日前に殺されなければ、外貨で相当なお金を手にすることができる。チェコ共和国の半分空っぽの倉庫を爆破するか、その所有者を毒殺するかというのは、カエサル・ボルジアのような現代人にとってエキサイティングな選択肢である。

2021年春、クレムリンが行ったのは無害な示威行為であると多くの人が信じている。兵力の動員は武力の行使を伴うことなく成功したように見えた(バイデンの呼びかけ、米巡洋艦のダーダネルスからの撤収、ゼレンスキーからの会談の申し出など)。世界の危機が管理可能であるという誤った見方は、恐ろしい状況を生み出す。ロシアは、無為の戦争をかろうじて免れたのである。戦争は現実の原則である。戦争では、軍事力についての幻想ではなく、国の現実的な状況がクレムリンに明らかになるだろう。私たちの目の前には、再びロシアンルーレットがある。銃声の代わりに引き金のカチッという音だけが聞こえ、軍人が「勝利!」と叫び、シャンパンのおかわりを要求する。バイデンの呼びかけが、その引き金のカチッという音だった。

黒海の危機とキューバ危機を比較することは、これらのかけ離れた出来事の管理可能性を誇張することになる。人間の心は、偶然を必然と取り違える。しかし、1962年のケネディとフルシチョフはそうは考えていなかった。我々が今生きながらえているのはそのおかげでしかない。

問題は、戦争が悪であるということではない。究極の悪とは、国を破滅に導く戦争である。勝とうが負けようが、ロシアにはウクライナとの戦争は必要のないものである。なぜなら、その戦争で達成できる国家目標が存在しないからである。国家建設の課題を後回しにしつつも、システムはまだ完全には国家的な戦争機械になっていない。ただし、クレムリンは、軍事戦略の手法で国民を支配している。モスクワが以前から実践しているメディアの政治的な攻撃、人や金の操作、拷問や秘密裏の暗殺、東西の国家体制への潜入を総合してみれば、要するにこれは戦争状態である。

ロシア連邦は、意図的であれ、偶発的であれ、簡単に戦争に突入する。ロシア・システムは、自らが生んだ、あるいは仕組んだ緊急事態を利用する。何か重要なことが手に負えなくなれば、すぐに緊急事態になる。ここでは、管理の質の問題は、軍事的、戦略的な形式によって無視される。最も単純な物事の管理において無能な権力が、戦争において有能であるだろうか?

クラウゼヴィッツとは反対に、戦争の決定は政治的決定から切り離された。ロシア連邦の新たな戦争は、最初は通常の特別作戦の進行と見分けがつかないだろう。それは、踏みにじられた価値観であれ、ドンバスであれ、誰も望んでいないものを守るために決定される。私たちを待ち受けているのは、「世界大戦」ではなく、戦争の時代であり、戦争による秩序である。それは、ロシアにとって死の罠なのである。


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